真喜良の家のお父さんの、移住したばかりの頃のお話を聞かせて頂きました。
石垣島で初めて寿司を握ったのは、お父さんのお父さん、宮崎から来た元漁師さんでした。
お爺さんは漁師で寿司職人 お父さん(ご本人)は寿司職人 息子さんは家具職人です。
14歳のときに鹿児島から出港し、大変な苦労をしながら1か月小舟を乗り継いで密航。
中学生だったので、大切に教科書を風呂敷に包んで運んだのですが密航の発覚を恐れた航路の旅館の番頭さんに焼かれてしまったとのこと。
島にたどり着いてからは、掘っ立て小屋暮らし。
家族で飲食店を営み成功され、今回の敷地となった建物の近辺の広大な土地を取得しました。
働きづめに働いて、引退された今も畑を耕しています。お父さんから頂くトマトが一番おいしい。
「石垣人はフランス的、宮古人はドイツ的です。知ってますか? 宮古人は質実剛健、石垣人は人生を謳歌するのが好きなのです」
とのことでした。
石垣島と言えば知らぬ者のない「舟蔵の里」の親父さんも、お父さんの寿司屋から料理人のキャリアをスタートしたとか。
石垣島の歴史でした。