沖縄の設計事務所/建設会社です
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人間の20倍速く煉瓦を積むロボット

 

煉瓦職人4人×4〜6週間を2日間で積み上げ、精度は0.5ミリ以下、毎秒1000回自己修正と、人間以上の精度。
 

屋根の瓦積、木造の棟上げ 等も同じ原理の転用で早晩出来るものと思う。

木造の場合、棟上げ+金物の設置には3〜4週間程度掛かるが、このシステムを転用すれば、(煉瓦よりは部材数が少ないが、金物の種類は多いので)3日位かかるか?

 

現在は製材、ほぞ開けまではフル機械化されているので、伐採〜製材〜化工〜棟上げ まで一貫出来ると面白そう。山に行って「この木は、乾燥するとこう曲がるので、床の間に使いましょう」等。
 

腕の良い大工さんなら、造作など 付加価値を上げる作業に専念出来るし、機械化が進めば 大工の総量が減り、文化財の修復等の仕事は減らないので 手刻みの出来る大工さんは引く手あまたになるはず。
 

逆に、ハウスメーカーの家しか建てられない大工さんは仕事がなくなる。

どの業種でも 概ね似たようなことが起こっているようです。
 

付加価値=差別化で 「他の人がしていないことを見つける=既存の論理から意識的に外れること」なので、付加価値を作り出す作業は原理的にコンピューターには出来ないはず。
 

逆に、自分の仕事が 他の誰かの作り上げた付加価値を具現化する作業の場合 その仕事はコンピューターかグローバル経済のどちらかに取って代わられる可能性があるということになりますか。

 

自分の設計では、スケッチアップで形を決めてから2次元の図面に直している感じなので、3Dのデータをそのまま施工してくれるなら手間が省けて良い。

 

それにしても、未来の家の形というものは、技術の進歩によって ルドゥーの森の番人の小屋みたいになるかと思っていたが・・形そのものは伝統的なままなのは面白いですね。

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カンパイ! 世界が恋する日本酒 | KAMPAI! FOR THE LOVEOF SAKE

 

逗子の定員20名の文化的な映画館「シネマアミーゴ」 で日本酒の映画を観ました。

 

伝統的に酒造りは杜氏の侵すべからざる領域で、蔵元は、営業と経営に従事し、製作に関わってはならない慣わしだったそうですが、昨今は日本酒の酒造界でも、科学を応用した革命が起きており、革命は、大学の醸造学科で学んだ蔵元 自ら製作に取り組むことで起きたとのこと。

 

グローバル経済のなかでは、設計・製作・プロデュース が同時並行出来るようになり、しなければならなくなり、さてあなたならどうしますか?

 

という話でした。

 

蔵元=設計・工務店、杜氏=職人さん と読み替えれば 建築の話になりますね。

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トランプか岐阜か

アメリカ在住20年の妹が、息子を連れて岐阜への帰省を選択肢として検討しているようです。彼女の住むカンザス州は、人種差別の顕著なバイブルベルトの一部ですが、小学校に上がる息子が育つ環境が、人種差別主義の大統領下にあることに不安を感じているようです。

 

とはいえ、岐阜という町は帰郷するたびに衰退しているように見えます。繊維産業以降の転換を誤ったのは、梶原拓知事が無能で無策だったから・・と長年思ってきましたが、5年間岐阜で暮らしてみて 目先の利益(建設事業)から先のことを考えなかった(大方針は他人任せながら自らの目先の利益には敏感に反応するという)市民の自業自得なのだとわかってはきました。

 

大成建設勤務時代、タクシー代は会社持ちでしたので、月に15万円程度 深夜残業後のタクシー代を使っていました。月給と同額程度の残業代が入り、タクシーは無料のため、残業すればするほど得に思えました。経営の感覚が無く、経費が経営に与える影響など考えてもみませんでした、岐阜と同じことですね。

 

政府に任せた結果 生活が苦しくなっていくため、建前を捨て ある種の革命を選んだアメリカ(の白人) 現状は思わしくないが、革命は起きないので緩やかに(どこまで?)下っていく岐阜。コインの表裏かもしれないなと思いました。

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幸福な男たち

今週は岐阜に来ています。仕事は、ノートパソコンと電話があれば出来るので スケジュールを調整すればどこでも出来ます。

 

建築の師の宇野友明さんを訪ねたら、「御幸山の家」を思いがけなく見学することが出来ました。私の設計活動の原点のような作品なので 感無量です。

 

宇野さんは「詩のように設計したい」と言われます。

私が学んだ バルセロナ高等建築学校の J. Muntanola教授によれば 建築美学は「詩学 Poetic」と「弁論術 Rhetoric」に分けることが出来る。「何を」「どう」と言い換えても良いです。

 

宇野さんは、「どう」を詳らかにしないで、「何を」だけを設計したいという。

 

「どう」は、巷で言うところのコンセプト、論理です。

 

論理は不要だと宇野さんは言う。

 

何故、不要か?

 

建築は、建築家が自らの手で施工しないことを前提に、論理・コンセプトを発達させました。しかし、宇野さんは職人さんと一体化し、自分の手足でもあるかのごとく現場を進めることが出来、お施主さんの全幅の信頼を得ているので、抽象的な方針設定が要らない ので コンセプトが無くても出来る、具体的に自分で進められるから。

 

ガウディが同じ作り方をしたと言われています。現場に泊まり込み、翌日職人さんが造る1/10の模型を延々造り続けたと。(サグラダファミリアで、ガウディの造った部分と それ以降とで精度がまるで違うのはこのような訳です)

 

建物を訪れたときに沸き起こる感興・官能・情感 だけで十分だと。

 

第4次産業革命は、人間が 働かざれど食べられる時代の幕開けで、現在進行中です。論理化出来る作業=ロボットが出来る仕事ですし、あるいはインターネット経由で1円でも安い人のところまで届けられる仕事です。働かなくても食べられる時代には、全ての人が働く必要はなくなるため、残る仕事と残らない仕事が出てきます。

 

残るのは、論理で表現できない 目に見えない仕事、心を奥底から尽き動かす技術を持った人たちの仕事だと思います。

 

造景家の櫻井さんの人となりと似て 哲学的な土場を2日連続で訪れ 長話しながら、金でも ネームバリューでもなく、自らの内側を手探りで分け入りながら、これから何を作るかだけに没頭している、稀有にして最も幸せな人たちが、私の知らないところにまだまだ居て、そういう人たちと働けることを幸せに思います。

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日原 暢子 ひはらようこ さん箏リサイタル@紀尾井ホール 行ってきました

 

岐阜ご出身の琴奏者 日原 暢子 ひはらようこ さんの箏リサイタル@紀尾井ホール 妻と行ってきました。

 

伊福部昭作曲:二十五絃箏曲 『琵琶行』 素晴らしいとしか言いようがない。

 

日原さんの演奏を聴くのは2回目ですが、演奏の途中 空間が目に浮かびます。

 

前回、岐阜の三法荘で拝聴した折は、何故か 邸宅の内部を歩き回る感覚になり、今回は長く住んだセヴィリアの街並みが浮かびました。抒情的な音調がアンダルシアのアラブ的 迷路のような 郷愁漂う街並みを想起させるのでしょうか。

ラヴェルのTsiganeを思い出しました。

 

25弦を2時間、石垣島の施設のオープンで聴けたらなぁ などと妄想しました。

 

次回の公演を楽しみにしています。

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屋敷町

和歌山のこども園の周辺は屋敷町なんでしょうか、立派な棟構えのお宅が多いです。

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