沖縄の設計事務所/建設会社です
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杉下均さんの 吉岡賞 受賞


建築家の杉下均さんが 「吉岡賞」を受賞されました。

吉岡賞は、建築家の登竜門と言われる賞で、これから大家になられていくための足掛かりと言われています。が、杉下さんが、この東海地方では飛び抜けた才能の持ち主であることは同業者ならば誰でも認めざるを得ない 圧倒的な存在でみえました。

2年前に ルーマニアの雑誌 Zeppelinから日本の建築家を紹介して欲しいと相談があったとき、迷わず杉下さんを紹介しました。

写真をひと目見て編集者は夢中になり、提出した3作品全てが掲載となりました。

建築の真の素晴らしさは写真では伝わらないものですが、それでも有り余る才能は、全く異なる文化圏でも通用するのだなと 思いました。

建築は、実際にその場に身を置かないとその力がわからないために、この卓越した建築家が、評価する側の東京の建築関係者 から適正な評価を受けるのに時間が掛かったということのようです。

芸術家ならば、高名になれば作品の価格は青天井で上がりますが、建築家の設計料は皆同じです。金のための設計でないとはいえ、本来は数倍の設計料を払う価値のある方だと思います。

一方で、私自身は(自分自身の設計活動が建築界で高く評価される純文学の建築版のような耽美的な建築とは別方向に向かいつつあることとは別に)日本の建築アカデミズム的なものをあまり信用していません。

それは

本来建築アカデミズムが、建築家の作風の確立云々 以前の 最も大切な 担うべき役割を果たせていない(社会から託されていない)からです。

建築教育 と 都市計画・建築法規です

業界ならば誰でも知っていることです。

建築教育:

大学を出て、そのまま建てるに足る設計図面を描ける建築家は居ません。(欧米では大学を卒業したその日から実施図面が描けます) 日本の大学では、実施設計を教えません。

大学は、高校までの詰め込み教育からの束の間の開放 で 真の教育はOJTで職場で教えていく、のは他業種にも共通の日本の仕組みなのですが、地道な修行期間を経ず、若くして有名になってしまった建築家の作品が、新築後間もなく、壊れたり、環境が劣悪すぎて住めなくなるような事態が、結構頻繁にあります。実施設計を知らないからです。

大学教育の 実務面での弱さを、適正なカリキュラムで修正する権限が 建築アカデミズムには与えられていないようです。わかっているけど、手が出せない 出させてもらえないのです。

都市計画:日本の都市計画は役所と政治家の意向で決まっているようです。

日本の地方都市ならばどこにでもあるシャッター商店街は、2000年の大店立地法が最大の要因です。

政治家の意向で建てられた場違いに大きい(精々第九の演奏と演歌のコンサートくらいにしか使われない)文化施設、誰も使わない道路。。

建築家が政策に携わることが出来ず、2000年以上の建築学の積み重ねが、実際の都市(と設計の基本となる法律)には十分に生かされていません。

これから都市がどこへ向かうのか、の展望を建築家が描くことが出来ないのが日本です。



バルセロナ1888年:万博、1992年:オリンピック、2004年:世界文化フォーラムと段階を経ながら拡張していく都市バルセロナのプランが、実は1859年のセルダ都市計画案を下絵にしているのとは対照的です。

(そのバルセロナが、無秩序な東京と比べて、予測可能すぎて退屈・・と感じられるところに建築・都市計画の限界があるのは別として)

簡単に言えば、日本では、建築家は社会からその職能の大半を託されていない ということになります。

その結果、日本の建築家は自ら権限の範囲内にある建築意匠に異常に高い関心を持つようになっている と私は常々思っています。

建築学会賞を受賞した作品が、築20年を待たずしてボロボロの廃屋のようになったりするのは、「夜の校舎 窓ガラスを壊してまわる」ような、建築家の無言の抵抗とも取ることが出来ます。「職能を もっと社会の役に立てる機会 を与えられるべきだ」 と いうような。

有り余る才能と、実務の経験を備えた建築家が、建築アカデミズムに認められたのは勇気付けられることですし、建築家が、専門知識を社会に生かせるための前向きな一歩かと思い、嬉しく思います。

書き終えた途端 杉下さんからTELがありました。

「おめでとうございます。これからは大学などでも教える機会が増えるのではありませんか? 実務と建築の知識の両方を兼ね備えた教授は少ないから 学生にとってもいい機会になりますね。」

→「いやー 僕は建築学科出身ではないからね、そういう話はないと思うよ (笑)」

「今時 そんな遅れた学校があるとは思えませんが・・ しかし建築学科を出ていない建築家の方が、知識と実務の両面で優れているとなると、これは死活問題ですね。まぁ、ムラ社会を頼らずとも作品を作れる環境にある人が あえてムラに入る理由もない訳ですが。」

→「そういうこと(笑)」 

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