沖縄の設計事務所/建設会社です
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Studio Mumbai インタビュー 4/11(前半)「完全の中の不完全」 @EL croquis 157

訳者記


世界各国の学生チームがエコハウスの性能を競う国際大会「ソーラー・デカスロン・ヨーロッパ2012」で日本代表がボロ負けしました。(18チーム中15位)


何故負けたのか?翻訳と並行してまとめるつもりです。


日本の建築家は優秀です、またエコハウスの分野でも大変優れた建築家が居ます、が 今回の日本チームは、千葉大とは言いながら、日本のハウスメーカーの総力戦とも言うべきものでした。


協賛企業・団体


性能自体は悪くなかったのですが、「つまらない」という評価でした。

学生らしい初々しさがなかった感じは否めません。


日本は、パラダイム・シフトには時間がかかるものの、一度シフトすると持ち前の勤勉さで高いパフォーマンスを出します。


日本の建築家が、20年程度でボロボロになる「デザイン」の呪縛から解かれて、プリウスのように、世界の模範になるような、「日本の住宅」の規範を作る時代が来ることを期待しています。


さて、4/11は「完全のなかの不完全」です。


見えないけどそこにある「規範」についてです。


一応コピーライトのこともあるので、訳し終わったらエルクロ編集部に送ることにします。


コミュニティ・ビルディング


B.D.Doshi

どういう訳で私たちはインドを眺めたとき遺産についてしか語らないのだろう?歴史的な建築や「Haveli」(インド・パキスタンの歴史的価値のある豪壮な邸宅建築)などにばかり言及するのだろう、過ぎ去った過去の建物ではないか?異星から来たようなこれらの遺産を誰が造ったのだろう?私たちとこれらの建物の間に何か関係があるだろうか?私たちとこれらの建物は今日でも繋がっているだろうか?これらが私を悩ませる主たる疑問だ。


アーメダバードやデリー、プネーなどの旧い都市の往時の生活に想いを馳せるとき、儀式や、伝統などと共にVastu Shastri(インドの風水:Vastu Shastraを極めた、インド古代の建築家)のような人が居たのだろうと想像する。皆が同じような服装をし、方言を話し、食べ、語らっているところを想像する。それら全てのものはその場所と関係している。それは神聖な信仰と関係があった。人々は物事のあるべき姿を指し示すVast Shastriを信仰していただろう。生産能力が限られていたことや、彼らのライフスタイルにも依ったのだろうが、全てが統合されており、それが都市のクオリティを保った。

私たちは、私たちの文化をとても誇りに思い、拠り所にしている。しかしそれは、どの歴史のことだろう?600年前のか?400年前のか?


Bijoy Jain

私は同時に、私達の「工芸」への解釈が陳腐になったと思う。私達とこれら過去の形態とのつながりが、現代の工芸たるものとは相反する方向へ私達の視点を逸らせている。


B.D.Doshi

ひとつの例を挙げよう。グジャラートのガルバ祭などは意味深い現象だ。彼らは先ずコミュニティが全員で参加することについて話し合った。そこには、作家、演出家、大工、靴職人、鍛冶、陶工などが居た。彼らは、日常から超越した高度な境地で互いに理解し合うためには、各々が何をすればよいか?と考えた。こうして文化を担う全員が、「生」への理解の次元を徐々に高めていった。彼らは、ある有名な収穫祭を造り上げた。最初は音楽が造られた、偉大な詩人が書き、キルタン唱者が詠譚し、あるいは歌手が歌った。神を讃える儀式は10日間に渡った。人々はこの10日間を楽しみにしていた。煌びやかに着飾った人々と、何かが起こりそうな高揚感がそこにはあった。現在この お祭りは、10日間の期日のはるか以前から開始される。この精神的な影響力の大きさに注目して欲しい。皆の会話の中心は祭だ。それは一家にとっての婚礼のようなものだが、世俗的でなく精神的な儀式なのだ。

陶工が演壇を造る。大工が柱と天蓋を造る。鍛冶が作業をする。仕立て屋が装飾を造る。彫刻家が神像を造る。全ての作業はその道の専門家によって造られていることがわかるだろう。それは神に捧げられた供物だったのだろう。そして、彼らは互いを理解し合っただけでなく、互いの技を学びあった。彼らは目で、耳で、体で、精神で協調しあったのだ。この祭りは協調するために造られたのだ。

もし、今ここで、同じようなことが起きれば、私達はまた、互いに協調することが出来るだろう。


Bijoy Jain

私が表現しようと試みているののもこの協調です。500年の歴史ある文化において協調とは何であったか?現代での協調とは何か?


一例を挙げましょう。私は、日本の大工達にとってこの「協調」が何であったかを私の大工たちと長い間話し合って来ました。日本の大工は古来森への鋭敏な観察眼を養って来ました。一本の樹木が、太陽、風、他の木々が落とす影などの影響を受け、どのように個性を育まれるかを観察し、その樹をどう使うことで、新たな生命を与え得るかを知っています。樹木も石材も、生きている材料であり、変容していくものだということを理解しています。私達は長い時間をかけて、このことについて話し合って来ました。どうすれば私自身もこのような生命の協調の輪の中に入ることが出来るのか自問してきました。数学も書物も、何者も、それを教えてはくれません。何があなたにそれを許すのか? もちろんそれは非常に注意深い観察から来るのでしょう、それだけではなく 自分の身体を通した、内面からの観察なのでしょう。

随分昔から私は彼らとこの方法論について話し合ってきました。何故日本の大工たちは、見えない部分に多くの作業を費やし、隠してしまう手法を採るのか?それは物事に価値を与える一つの方法なのですが。それは私たちが10年から12年に渡り話し合ってきた議題で、未だに問であり続けています。


私の大工たちは35〜36歳の若さですが、500年に及ぶ我々の歴史と現在を結ぶ存在でもあります。彼らが材木を購入するときには、木目を読みます。その木目をどう読むかによって、どのような梁になるかが決まるのです。


私は最近日本から戻りました。日本では、幸運なことに、90歳を超えて未だ現役の偉大な大工たちの記録を取ることができました。私はその経験を私の大工たちと共有しました。日本の大工たちは驚いたことに、建物の全体図を一枚の板に描くのです。それから木を切り始める。様々な仕口を削り出すのですが、材木を現場に移送し終えるまでは、組み立てません。彼らは、建物をどう組み立てていくかの手順を完全に熟知しています。複雑な建物の全体像を把握する知性を備えているのです。断面図や立面図も抽象的なかたちで彼らが描きます。私と私の大工たちにも彼らと同じことをする能力はあると私には思えました、しかしながら、彼らの規律と体系、厳格さと 伝統に果たす自分の役割への自覚はありません。


日本の大工と同じ技術を備えた何千人という大工はインドにも居ます。能力ある職人は未だに残っています。彼らにも、歴史の中での自らが果たす役割を意識することが出来さえすればよいのです。しかし、そこには歴史の断裂があります。私たちが文化と歴史に持っているイメージこそが、現代の生活と歴史との間に断裂を作ったのです。石工たちが石を積むとき、私は何人かにこう言いました。「君のおじいさんなら そういう積み方はしなかっただろう」と。

すると、彼は速やかに石を取り去ります。5日後に戻ってみると、石は彼の祖父が積んだであろう まさにその通りに積んでありました。歴史との関わりとはそういう関わりのことなのです。私はこうして彼らに何度でも歴史との関わりを、祖父、曽祖父とのつながりとして語っています、彼らならばどう考えただろう?どのようにジョイントを施工しただろうか?彼らなら石をどう積んだだろうか?と。


私がそういう話を始めると、彼らは出自の家系に親近感を覚えていきます。あるいは、親近感が既に失われていることを確認することになる場合もあります。私は何度でもそのように歴史を話して聞かせます。潜在的な能力はそこにあるのですから。決して楽ではないのですが、私は楽天的です。バラバラになっている部品を溶かし合わせて再構築するつもりなら、誰かが炉の役割を果たさなければならない。もちろん、全ての部品が失われてしまっていたら、その時は全くのゼロから始めなければならないことになります。



物語


Bijoy Jain

今お話した通り、学習の大部分は歴史を物語ることで、過去と現在と未来を結ぶことにあると思います。結ばれない歴史は断片でしかありません。


B.D.Doshi

同感です。私たちは教育の方法について本当に理解してはいないと思っています。良い教師とは、生徒を過去から未来へと導くものです。画家のM.F.Hussainが優れていた点もそこにあります、彼の絵画はいつでも物語なのです。彼の絵画は誰でも理解することが出来ます、それでインドでは彼の絵画を知らぬ者はありません。過去について語るときには、現在の私達との関わりを提供しなくては理解されないでしょう。しかし、現代の建物について、歴史をどう語ることが出来るでしょうか?


ひとつの例をお話しましょう。デリーでNIFT(インド国立モード研究所)を設計していたときのことです。私のとってモードとは歴史の欠如の表現でした、そこで建物の一部は「今風」、他の部分は「一昔前風」、またある部分は「未完」であるべきだと思いました。

若い男女の設計者が私の下で働いていましたが、「ノー ノー ノー 建物は捻れていなくてはならない、こうしなさい!」と言っても彼らは言うことを聞こうとしません、むしろ応えて言うのです「真っ直ぐではいけないのですか?」

私は疲れきってしまい、終いには自分の部屋で一人で座ってつぶやきました。「理解してもらう方法を探そう・・」。そして、考古学に着目しました。3日後、事務所に戻った私は彼らにこう言いました。デリーに行き、建物が考古学的な遺跡の上に建つことになると知った、と。建物の配置はそこから決まっているのだと。こうして議論は終わりました。あなたの確信を共働者に伝えることは実に大切なことです。歴史の物語が彼らを納得させたのです。



プロトタイプ


Bijoy Jain

設計に当たり私が配慮することは、どのように自然の風景を私たちの風景に変えるか、その変化の速度です。どうすれば、そこに介入できるでしょうか?今日ではプロモーターが土地の形状と風景を造ってしまいます。それ以外のやり方があるでしょうか?答えはわかりません。(形状の提案をする)建築家という立場からではなく、匿名的に介入出来る立場をどう成立させるかという問題なのでしょう。


例えば、Alibag(インド西部の小都市)のような中・小都市には多くのビルが建設されています、まるでキノコのように毎日生えています。私はそれらの種類の建築に関心があります、何かを教えてくれるように思います。少なくとも時間と経済的資源の効率的な活用に関しては、それらは立派に機能していると言えます。


そこには「質」が足りないのですが、それはまた別の話です。

このような分野で、如何にして形状の提案をせずに介入することが出来るでしょう?何かを変えられるでしょうか?私は模倣することを思いつきます。何かがうまくいった場合、人はそれをコピーするものです。コピーは、発展と良い結果をもたらす興味深い方法となるかもしれません。


一方で、洗濯物を干したり、家事をこなしたり、数々の近代化をフォローしたり、駐車スペースの確保に至るまでの、現在進行形の複雑な問題を解決したプロジェクトを私はインドで見たことがありません。

という訳で、私は基本的な住宅のプロトタイプを建設しようというアイデアに取り付かれています。それは未完の部分的なものです、プロトタイプというものは、それを磨いて完成させていくことが出来、時間的、経済的な条件から解放されたものだからです。もしその価値が受け入れられればコピーされることでしょう。逆にコピーされないとしたら、きっとどこかに問題があるのです。


さて、どうすれば多種多様の需要に対応出来るプロトタイプが出来るでしょうか?私たちの文化のみで通用するアイデンティティがあります。住宅について、門構えのある家か、塗装した柵で囲われた家か、敷地境界をピンクに塗ってあるだけの家かでは、まるで意味が異なります。このような背景をどのようにプロジェクトに描くことができるでしょう?そこに心を砕いています。建築家として、意義ある方法で干渉出来る方法を。


B.D.Doshi

全くもって、それこそが建築です。それこそが環境です。(インドにおけるコルビュジェのパトロンとなった)サラバイ一族は、大学に通ったわけではありませんが、素晴らしい作品の数々を残しました。人々の感受性を変えて、真実と生活の質を享受出来るようにするかが本当のテーマです。私には、それほど難しいとは思われません。



完全の中の不完全(これよりアップデート分)


Bijoy Jain

プロトタイプ=規範は、最大限の効力を持ちながら、観る者からは隠されるよう狡猾に設定されなければなりません。それはとても大切なことです。


例えばJaisalmer(インド北西部、タール砂漠のほぼ中央部に位置するオアシス都市)の建築は、誰かが決めたであろう規範を守っています。全ての社会階層が、その枠組みの中で建築を組み立てています。


例えば2つの装飾バルコニー(Jharoka)、柱列、ポーチの組み合わせもあれば、4つの装飾バルコニー、柱廊の組み合わせもあります。それは財力に応じて決定されるのですが、しかしどちらも 柔軟な規範が許す範囲内で収まるように出来ています。


私はインドに戻った時にこの、規範の「完全の中の不完全」に気付きました。それは私が追い求めるものの中のひとつです。


現在の建築計画を、過去の規範の中に位置付けるのです。


片や、今日的な問題があります、プログラムをどうすれば良いのでしょう?予測や想定すら出来ないプログラムをどう扱えば良いのでしょう?建物には何が起きるでしょうか?どう変身していくでしょう?子供達が育ったとき、どう変化を吸収していくでしょう?それらの成長のための余白はどこに収まるでしょう?閉じたシステムは、内部崩壊して死んでしまうでしょう。


これは、インド建築について語るときには、最も大切なことです。


伝統的インド建築の特別さを私はそこに暮らし、感じて来ました。それは、想定もしていなかった不測の変化をも吸収する度量があるということです。


あなた自身や環境の変化をどう取り込んでいくか?そこには規範が決定的な意味を持ちます。しかし、どのようにその規範を稼働させるかについては、規範自体を問い直さなければなりません。


変化を受け入れるための隙間のようなものがいつも残ります。それらの隙間、空、はどこに潜んでいるのか?それが私を熱中させます。

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