3月に所属する会社の社員旅行で香港に行ったわけなのですが、そこで気付いたことをまとめます。
今はエネルギーが余り無いのと、性来のズボラとで、とりあえず書いて、追々根拠となる文献等を追加して・・いくかもです。
さて、顕著に気づいたことが二つあります。
1.香港製の魅力的な商品が見当たらなかったこと。(全て外国製)
2.世界でも最も高密度な都市にして交通渋滞が皆無だったこと。
旅行先での最大の楽しみのひとつはお土産探しです。
10代の頃から、父の背中を追いながら南米やアジアの都市を旅行して回りました。20代は一人でアメリカと西欧と東欧を巡りました。
泊まるのは安宿、探検するのは普通観光客が踏み込まないような、汚かったり怖かったりする街の裏、内蔵の部分です。
街の表は、都市が発展すればする程似通ってきます。
立派な市庁舎と高層のオフィスビル、ブランドショップ、どこも同じです。
一方で、ペルーの首都リマで最も安くおいしい料理が食べられ、最も美しいインディオの布が安価に手に入り、質の高い民族音楽が聴けるのは、日本人は足を踏み入れてはいけないと言われているリマのセントロ(ダウンタウン)です。
東京で一番面白いのは谷中です。
パリで面白いものを探すならクリニアン・クールのフリーマーケットが一番です。大半はガラクタですが、中には作家が作ったと思われるアンティークの品々にお目にかかれたりとか。
香港は、一見ウォン・カーウァイ監督の映画に出てくるような街の暗部に見えるような場所を何時間か一人で巡りました。
怪しげな路地裏に、オンボロの電飾の看板を出した店に入ります。曲がりくねった階段を上り、設備や電気の配管が頭上を走る廊下を抜けて入った店には・・あろうことか日本やヨーロッパ製の商品が並んでいます。商品ラインナップがショッピングモールとまるで変わらない。
露天商が延々と店を連ねる通りを何時間も歩きました。
路地裏に潜り込んで、ここは!というショップを探します。しかし、5、6軒のお店を回れば、数百という露店で売られている商品が、同じ卸で仕入れられていることがわかります。
掘り出し物 がありません。効率が良いといえば非常に良い。
一事が万事こんな調子で、とうとう香港でしか入手出来ないと思われる製品にお目にかかることが出来ませんでした。その手の品物を探す嗅覚に関しては多少の自信があったのですが、完敗です。
建築探訪についても同じことが言えました。
床面積と商業に必要なグレードを満たすだけのビル以外の・・どこかの狂信的なお金持ちが採算を度外視して、志を同じくする変わり者の建築家と共同で作ったような建物にはついぞお目にかかりませんでした。
唯一の例外がノーマン・フォスター設計の上海銀行です。
これは完全にクレイジーな一品。
そして、不自然な交通渋滞のなさです。
香港は、世界でも最も人口密度の高い都市です。
都心には戸建住宅がなく、地震がないために日本ではちょっと信じられないような高層のアパートが所狭しと建っています。
香港 6,688 人/km² 東京23区 14,389人/km²
香港は山岳地を多く抱えるため、単純密度は東京23区よりも低いが可住地の人口密度は非常に高い。地区によっては 50,000人/km²を超え、高層マンションなどの集合建築が密集している。(Wikipedia)
しかし、交通は常にスムーズで、渋滞しているのは料金所付近位です。
中国は伝統的に強力な行政機構を持っています。
都心部への自動車の乗り入れを強権的に止めて、インフラ整備や供給を高度に効率化させなければ、このようなスムーズな交通は成立しないはずです。
また、100万ドルの夜景で有名な「夜景ショー」では、金融街の超高層ビル数十棟に電飾を仕込み、それらを音楽に合わせて連動させて壮大なショーを展開しています。
ショーの芸術的価値はさて置き、利害が背叛するはずのそれらの超高層ビルを一挙にまとめて制御するなどは、日本では考えられないことです。
そして、香港には都市全体を統べる強力なリーダーシップがあり、効率的に運用されている・・一見の無秩序とは裏腹に・・と感じました。
中国に返還されるにあたり、製造業では中国とのコスト競争に勝てないと判断した香港は、意識的に製造業を捨てて、金融と観光にシフトすることを計画し、実行出来たのだと思います。
その時に都市の裏の顔を捨てた、それが九龍城です。
現在の九龍公園は、亜熱帯の植物が瑞々しい魅力的な公園ですが、私たちやさぐれた旅行者がかつての九龍城に憧れるのは、撤去されてしまった生の生活の姿を懐かしんでのことだと思います。
ウォン・カーウァイ監督の名作「天使の涙」の舞台も九龍城でした。
都市が一体となって取り組まなければ到底出来ないような方向転換をする、このフットワークの軽さには前例があります。
↑ヴェネツィアの興亡を描いた「海の都の物語」
比較的小さな領土ながら1000年に渡って貿易と諜報活動によって中世を都市国家として生き延びたヴェネツィア。
↑1888年のバルセロナ万博を描いた「奇跡の都市」
スペイン第二の都市ながら、首都に先駆けて万博やオリンピックを誘致したバルセロナ。スペインの他の都市に比べ地味な歴史遺産しかないものの、ガウディ一本で売り出し、大人気。大変機転の利く都市です。
「神が地球をつくったが、オランダ人がオランダをつくった」
領土も資源も限られながら、ヨーロッパで最も豊かな国家を建設したオランダ、等です。
これらの国(や都市)は、日常的には色々と内紛はありながら、いざというとき一丸となって動けるという強みがあります。
隣接する大国(や中央政府)に弾圧され常に存亡の危機に晒されながら機敏な行動で自治を守り抜いてきた歴史があり、合理的な都市にその特徴があると思います。
おかげでというか何というか、バルセロナは大変機能的な都市である一方、都市に埋没する、方向感覚を失って彷徨するということが大変しにくく出来ています。(ガウディは極めて稀な天才で完全な例外です、バルセロナの建築はどちらかといえば単調で地味なものが多いのです)
スペイン滞在の後半を、経済的にはスペインのお荷物とも言える南部で過ごしたのは、自分を街のなかで見失うという感覚がたまらなく懐かしくなったからでもあります。
バルセロナでは、道行く人の道案内ですらわかりやすく合理的です。
南部に引っ越した頃こんな事がありました。
とある街に小旅行に出かけて、通りかかった二人組の僧侶にレストランへの道を尋ねました。あれこれと教えてくれるものの、ちっともわからない。南部出身の同行者にすら説明がさっぱりわからないのです。
散々道に迷った挙句、レストランに着いたのは1時間も経った頃でしょうか。
レストランで席に着いたら、隣の席で先般道を教えてくれた僧侶がデザートのポルボロン(アーモンドの伝統菓子)を食べていたという、嘘みたいな本当の話です。
いつか日本も香港のように(効率的に)なるのかな?製造業も、農業も、介護も、人件費の安いアジアの諸国にはとても太刀打ち出来ず、いずれは無くなるのかな、などと思いながら、非効率の部分、非論理的な部分をいつまでも持ち続けて欲しい・・でないとつまらない と思ったものです。