沖縄の設計事務所/建設会社です
http://www.kougei-arch.jp/index.html
おばちゃんのために
孤高の作家と言われたJ.D.サリンジャーは小説「フラニーとズーイ」の中で、神経衰弱になった役者志望の妹を励ます兄にこんなことを言わせている
 
「誰かのためでなく、神のために演じるんだ」と。
 
この短い小説のクライマックスと言える部分で、何故かこの神は、アメリカの典型的なおばちゃんの姿をして、エントランスポーチで、ロッキングチェアに揺られて編み物などをしている。

そのおばちゃんのために演じろと兄は言う。
 
いつだったか、インタビュアーから日本の読者にメッセージをと頼まれた作家のチャールズ・ブコウスキーはこう答える。
 
「私は私自身のために書いているのです。あなたへのメッセージが感じられたとしても、ごめんなさい、私は私自身のために書いているとしか言えません。」
 
ぶっきらぼうなブコウスキーらしいとその時は思ったけれど、今思えば彼もまた特定の誰かのためではなく、自分自身であって自分自身ではない 内なる神のために書いていたのではないかという気がする。
 
自分自身が世界と一体となってしまい、自我が消えた境地。
 
どうやったらそんなに完璧に出来るのですか?と尋ねると

「シンプルなんだ、僕であって僕ではないんだ」
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書籍の電子化について(byちきりん)
http://d.hatena.ne.jp/Chikirin/20120126 

明快。
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バイオエタノール・ストーブ

お客さんの要望で バイオエタノール・ストーブ について調べました。

小学校で使っていたアルコールランプを大きくしたような・・

 

エタノールは燃焼しても水が出るだけです、煤も灰も煙も匂いも出ず、煙突も要りません。

薪ストーブがゴツゴツした木の枝が燃えるのを楽しむとすると、エタノールストーブは火だけが浮いているようなスマートさを楽しむのでしょう。

都会的で火の気の無さそうなリビングに、降って湧いたように火がある というシュールでおしゃれな感じを楽しむもののようで、代理店のホームページにもそんなイメージが載っています。

 

ピカピカのリビングにクリーンな炎 とか、 プールサイドにシアター設備 とか いうのはアングロサクソン、それも比較的若い アメリカ や オーストラリア の富裕層に好まれるイメージ という気がします。

 

http://www.mkml.co.jp/product/

このエタノール・ストーブの会社も2002年に設立されたオーストラリアの会社でした。

 

週末にお爺さんの代から継いだ山小屋にピクニックに行くとか、スペインやフランスの富裕層は、楽しみ方も土っぽい気がします、それはさて置き。

 

早速懇意のストーブ屋さんに聞いてみたところ、こんな話をしてくれました。

「バイオエタノールは、アメリカの飼料用トウモロコシが大量に余ったのを消費するために出来ました」

「日本では、エタノール・ストーブは、未だあまり普及していません」

「というのも、燃料のバイオエタノールが入手出来ないからです、また入手出来ても高いのです」

「また、薪ストーブのような遠赤外線の放射熱ではなく、ファンヒーターのように炎の熱を対流させるので、あまり温かみを感じられません」

とのことでした。

 

確かに、上記の会社の場合エタノールは輸入品で、日本で取り扱っているのは1社のみ。

エタノールの容積あたりの価格は、灯油の5倍もします。

 

昨年の地震直後は、電気も石油も品薄になり、あらゆる暖房が使えなくなる中で、燃料を自給出来る薪ストーブが注目を浴びたといいます。

(実際は、ガソリンがなければ薪を運搬するのも大変なので、大災害時にどの程度役に立つかはわかりませんが、電気がなければ全く動かないファンヒーターよりは救いがあるかもしれません)

 

そんなこんなで、今のところは、エタノール・ストーブのメリットは、デメリットと比べると小さいようです。

それにしても、エタノールなら日本でも作れそうな気がしますが、売れないから無いのか・・ 全部呑んじゃうからでしょうか・・

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ボルヘスの「中国の百科事典の動物の分類」
役所作成の 補助金関係の資料を読んでいたら、ボルヘスの「中国の百科事典の動物の分類」を思い出した。

中国の動物は以下のように分類されるという。

a、皇帝に属するもの
b、香の匂いを放つもの
c、飼いならされたもの
d、乳呑み豚
e、人魚
f、お話に出てくるもの
g、放し飼いの犬
h、この分類自体に含まれているもの
i、気違いのように騒ぐもの
j、数えきれぬもの
k、駱駝の毛の極細の毛筆で描かれたもの
l、その他
m、いましがた壷をこわしたもの
n、遠くから蝿のように見えるもの

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「オレが言うまでもなく、抵抗してもムダだよ。」連続ツイート

紙の(いわゆる)建築雑誌を眺めながら、乾いた形態論の雑巾を絞る努力について
「痒いのはそこじゃないんだけど」
という歯痒さについても、いずれは落ち着くところに落ち着くのでしょうね。

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伊吹山が見えると
登山やスキーをこよなく愛する知人は、霧が晴れて雪山が見えると狂喜する。 

「キタ━(゚∀゚)━!」  

まるで札束や美しい女性を見たときのような生々しい喜び方だ。 

そのせいか、冬の伊吹山がきれいに見えると 得した気がするようになってしまった。
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あるエコハウスの無常
建築家 山下和正 の「エコロジーハウス 亜鉛閣物語」を読んだ。 

山下和正:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E4%B8%8B%E5%92%8C%E6%AD%A3 

老境に達した建築家は1990年に福島に8000坪の土地を購入し、終の棲家の設計を始めた。 

職場のある東京から頻繁に通えないため ノーメンテナンス に徹した、また老後のこととて維持の経済性を追求したエコロジーハウスになったとのこと。 


面白かったのは、この計画がある理想都市の設計から始まったことだ。 

バブルの末期、建築家の元に変わった依頼が来る。 

福島の山林に、独立した都市を建設したいというのだ。 

建築家は20世紀初頭の都市計画家 黒谷了太郎 の 「山林都市」を参考にしようと考えた。 

この「山林都市」は 黒谷了太郎が、イギリスの「田園都市」の日本版として構想したものだという。 

そのくだりを語る建築家の語り口は簡便で、彼の実際的な性格を思わせる。 

ハワードの田園都市の現実性を裏付けるもうひとつの側面は、事業としての採算性であろう。 農地が都市的用途に変えられた場合、「自動的に価値が上がる」といういわばキャピタルゲインに着目し、その価値の増加により都市インフラの整備費や市民共有施設の建設費・維持費を賄い、開発会社の利益を生み出すことができるという・・」 

日本では農地の価値がヨーロッパに比べて高いため十分な利潤が得られない。そこで都市計画家は安価な山林に目をつける、実現してもおかしくない20世紀初頭の計画だった。 


こうして建築家は 山林都市「河内高原」 の設計に7年を費す、がそれは実現しなかった。 

東京電力が村に高圧線の変電施設を建設する計画が浮上し、村は税収を無下にすることが出来なかった。

 送電線の迂回路を提案したりしているうちにバブルが弾け、計画は立ち消えとなった。 

けれども、村に通い続けてその魅力の虜となった建築家は、そこに終の棲家を建てるに至る。 

 それは魅力的なソーラーハウス。 

地図で調べてみると 敷地は福島県双葉郡川内村、福島原発からは20Kmの近さだ。

建築家は無事だっただろうか? 

本は2010年の5月に出版されているから、地震の折には既に書き終えられていたのだろう、地震や原発についての記述はない。

東京を退いて福島の山林に安住しようとした建築家 山下和正が、東電(というか福島→東京への送電というシステム)により被った二度の打撃には皮肉という以上の無常を感じる。

山下和正は古地図のコレクターとしても著名で、岐阜県図書館にはコレクションがあるとのこと、今度行ってみよう。
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