村上龍主催のJMM(Japan Mail Media)に興味深い記事がありました。
http://ryumurakami.jmm.co.jp/以下転載
■ 北野一 :JPモルガン証券日本株ストラテジスト
長男が、何か読む本はないかと聞いてきたので、カレル・ヴァン・ウォルフレンの
「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)を手渡した。この本を手にとって、読み
始めた彼が、いぶかしげに聞いてきた。「この本、いつ書かれたの?」。「何時って、
最近だけど。何でそんなことを?」と聞くと、「ほら」と書き出しを見せてくれた。
そこには「大地震や大災害に見舞われると、人間というものははたと現実に気づくの
か、あらためてよく注意して周囲を見回すようになるものだ」と書かれていた。「ほ
んとだな」と二人で顔を見合わせた。
もっとも、ウォルフレンの話は、こう続く。「選挙や革命といった政治事件もまた、
こうした大きな自然災害と同じく人々を目覚めさせる「ビッグ・ニュース」となる。
だれもが襟をただし、政治のなりゆきに注目するのは、それが国民全体の将来を決す
ることになるかもしれないからだ」。話は、自然災害から、政治事件に移り、そして
次のように展開する。「ところが」である。
「国家の将来を決定づけるような重大事であるにもかかわらず、人々が関心を向けよ
うとしない政治の出来事もこの世には存在する」と。それが「小沢一郎という政治家
に対する「人格破壊」と私が呼ぶ動きである」。
大地震でも革命でもないが、小沢問題は、日本の将来を決するほどの事件だとウォ
ルフレンは言う。ほんの数週間前にこの本を読みながら、この書き出しをすっかり忘
れていた私は、この部分を再読し、二日前に読んだ「知事抹殺」(佐藤栄佐久、平凡
社)のことを思い出していた。あれが、転換点だったのかもしれない。あの時に、も
っと当事者意識を持って、この問題に取り組むべきであったと。福島県知事であった
佐藤栄佐久氏が汚職事件に巻き込まれ罪に問われたことは、それこそ「人格破壊」で
あり、「国家の将来を決定づけるような重大事」であったかもしれない。
私が、「知事抹殺」を読んだのは、今、首都圏で大騒ぎになっている電力不足がき
っかけだ。2003年に、東京電力の原子力発電所が全てストップしたことがあった。
あの時も、電力不足が懸念されていた。その時の経緯を調べているうちに、2003
年6月5日付の日本経済新聞「社説」に行きついた。「5月はじめに運転を再開した
柏崎刈羽原発6号機に続いて、6月中にあと三基が運転できて首都圏の電力不足は解
消されるはずだったのに、佐藤栄佐久知事が(福島原発の)運転再開に対して地元と
県議会の同意の他に新しい条件を持ち出したために、見通しが狂った。再開時期が知
事の胸先三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」。
「佐藤栄佐久」という名前に見覚えがあった。この人は、確か、その後、逮捕された
筈だ。何の容疑だったのだろう?検索してみると、「談合」、「汚職」という言葉が
彼の周辺から出てくる。本当にそうだったのか。今回の原発事故、昨年の厚労省幹部
・村木さんが巻き込まれた「凛の会事件」を知る今となっては、この福島県汚職事件
に疑問を持つのは自然だろう。この事件に関する書籍はないのかと調べると、前述の
ご本人による「知事抹殺」に行き当たった。丸の内オアゾの丸善に問い合わせると、
在庫はなかった。八重洲ブックセンターに聞くと、1冊あるということだったので、
早速、購入した。レジで、「ここ数日、この本、売れていませんか」と聞くと、担当
者は怪訝な顔をしていた。「知事抹殺」が出版されたのは2009年9月16日だ。
まだ、忘れられたままなのかもしれない。
佐藤栄佐久知事は、福島県では圧倒的支持を得ていた「剛腕知事」であった。原子
力政策のみならず道州制や地方分権のあり方を巡っても、政府と激しい対立を繰り返
してきた。2003年の原発停止を振り返って彼はこう書いている。「東京は、原発
がすべて停止するという事態になってはじめてあわてふためき、当り前だと思ってい
た「電気が来ること」を邪魔しようとするものを非難する。しかし、原発立地地域に
してみれば、その風景はまったく異なったものになる。私にとっては、そんな大げさ
なことではなく、県民の立場に立って淡々とやるべきことをやっていたら、結果とし
て原発が停止したということにすぎない」(P49)。
しかし、「その結果わかったことは、原発政策は国会議員さえタッチできない内閣
の専権事項、つまり政府の決めることで、その意を受けた原子力委員会の力が大きい
ということだった。そして、原子力委員会の実態は、霞が関ががっちり握っている。
すなわち、原発政策は、立地している自治体にはまったく手が出せない問題だという
ことが、私の在任中に起きた数々の事故、そしてその処理にともなう情報の隠ぺいで
よくわかった」(P50)。
こうしたなか前述の日本経済新聞の社説は「一日も早く合理的判断を」と促してい
たが、我々は、誰にとっての合理性なのかを、当時、突きつめていなかったように思
われる。東京、すなわち日本にとって合理的な判断を下さない福島県知事は、東京地
検特捜部の某検事からこう断罪された。「知事は日本にとってよろしくない。いずれ
は抹殺する」と。2008年8月8日、東京地裁は、被告人、佐藤栄佐久を懲役3年、
執行猶予5年という判決を言い渡した。2009年6月24日、東京高裁も再び有罪
判決を言い渡した。佐藤前知事は、最高裁に上告して真実を争っている。
否応なしに原発の付き合いを余儀なくされた佐藤前知事の合理性は、こうだったの
だろう。「同じ方向しか見ず、身内意識に凝り固まる原子力技術者だけでは安全性は
確保できないことも分かってきた。…原子力ムラの論理に付き合わされて振り回され
た反省にも立って、「いったん立ち止まり、原点に帰って」原子力政策について考え
るべきだと思った。…そこで福島県独自で動けるところから行動を始めることにした」
(P73)。彼に言わせると、「原発立地県から首都をみると、「自分にかかわり合
いが出てきて、初めて関心を持つ人たち」としか見えない」(P97)。
当時のかかわり合い方が、「電気が来ない」であったのに対し、今回は「放射能が
くる」(AERA)なのだろう。私自身の対応も、全くこの佐藤前知事が喝破した通
りであった。
2003年当時も、私は、この問題に無関心であった。代行返上やりそな銀の実質
国有化、イラク戦争の帰趨が自分にとっての重大関心事であった。いま、我々は、こ
の大震災をきっかけに、はたと現実に気づき、あらためてよく注意して周囲を見回す
ようになっているが、「国家の将来を決定づけるような重大事であるにもかかわらず、
人々が関心を向けようとしない政治の出来事もこの世には存在する」ことも改めて銘
記しておきたい。私には、人々が関心を向けない事象から国の将来を考える想像力が
ない。ただ、そういう自分の能力のなさ限界に、気付きを与えてくれる書籍が、出版
される自由があることに、まだ希望を持てる気がしている。
JPモルガン証券日本株ストラテジスト:北野一