沖縄の設計事務所/建設会社です
http://www.kougei-arch.jp/index.html
小林君の就活

友人の小林君から夜電話。

http://sites.google.com/site/cobacobajp/

3年のスペイン滞在を切り上げて、今就活中。

彼とはゼネコン時代にふとしたきっかけで知り合った。

27歳。

ひとまわり上とひとまわり下の友人を持つといい、という下の友人だ。

就職難のご時世にもそこそこ元気なのには訳がある。

彼はスペインではエンリック・ルイス・ゲリという、舞台演出出身の一風変わった建築家の下で働いた。
http://www.ruiz-geli.com/

↓ 偶然をデザインに採り入れるため、建物容積の氷を200個割ってスタディしたという「Villa Nurbs」

ある学生が聞いた。「200個のうちひとつの氷を選んだのは恣意ではないでしょうか?」

エンリックは答えた。

「いい質問です。」













有望株ながら、少々怪しげなその建築家を紹介したのは僕です。。

気泡みたいな家とか、木みたいなホテルとか、ハイテクの似合わないスペインでのハイテクは、テクノロジーの優しい側面を見せてくれているみたいで、楽しげだ。

黒い服着て腕組みしているような建築家にはなって欲しくなかった。

ところが、エンリックの事務所はまだ安定飛行に入っておらず、リーマンショックのあおりを喰って、なんと1年でリストラに遭ってしまった。

かくて、小林君はスペイン語もろくすっぽ話せないのに、スペインで就活することになった。

幸い友人達の助けを借りて、彼は無事スペインでも最も人気の高いRCR設計事務所に入所出来、それから2年間デザインの基本をじっくりと学んだ。

建築家は数あれど、スペインでリストラと就活を経験した日本人は彼くらいのものだろう。帰国したら見違えるほどたくましくなっていた。

ちなみにRCRはホームページの更新をしていない。
http://www.rcrarquitectes.es/

ホームページには一言

「私たちは、街路側の窓を閉め、中庭側の窓を開きました」

Hem tancat aquesta finestra al carrer i n'hem obert una altra al pati interior
 (エム タンカット アケスタ フィネストラ アル カレール イ ネム オベールト ウナ アルトラ アル パティ インテリオール)

・・・美しい響き カタルーニャ語です。

「更新が面倒くさいので、設計に専念します」・・・なんとエレガントな言いまわし!!

小林君、目下日本各地の建築家を訪問中。

「人生 長田さんに振り回されっぱなしですよ・・・」

嬉しそうであった。また報告聞かせてくださいね。

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建築の教育について
今年も岐阜女子短期大学校の柳田先生に招かれて、卒業設計展の講評をしてきました。
 
いつも感じることながら、この学校の学生さんは、垢抜けた、育ちの良さそうな女の子ばかり。
 
化粧気なしで製図板にしがみついている建築女子・・僕は好きですが・・ とは違って、アメリカのアートスクールの学生みたい。
 
講評自体は楽しいけれど、建築の設計には、未解決の問題が山積みで、僕にはとても先生は務まるまい。
 
 
少し列記してみる。
 
まず、日本で言う現代建築とは何か?という問題がある。
 
 
現代建築としては、AA→FOAの岸川謙介さん 


http://www.akkarchitects.com/index.php?/project/cloud/
 
あたりが最も新しい試みをしている。
 
性能がどんどんと進歩しているCADを使えば、工業製品がカスタマイズ出来る。

不規則性と規則性が相半ばする細胞の組成を、CADで解析し、工業製品の生産工程とつなげれば、これまでは不可能だった複雑でオーガニックな建築が出来る。
 
これを子供とすると、

デコンにいさん


ポストモダンおばさん
 

モダンおじいさん


がこたつを囲んで仲良くミカン食べてるような構図・・・。
 
年の差はあっても皆現役。
 
リカルド・ボフィルのクラシシズムだってありといえばありだ、どうしてそれが正しいと思うかの説明の方が大変そうだけれど。


いわゆる西洋の現代建築だけでもこれだけある。
 
 
更に日本には伝統建築がある。
 
日本の伝統建築は、様式としても技術としても生きている。この様式以上に、日本の風景に座りが良い様式は無いと思う。これからも生き続けて欲しい。
 
様式だけでも、これだけの選択肢がある。
 
 
それから、網羅する知識の範囲の問題。
 
設計するとは、基本設計 実施設計 施工監理をすること。
 
基本設計はデザインの基本方針を決め、実施設計ではお金を決めるため詳細や品名を決める。施工監理は図面通り施工されるかのチェック。
 
 
あまり知られていないが、ヨーロッパの建築学部では実施設計を教える。
 
卒業したばかりの学生でも長持ちする建物が設計できるのは、実施設計を知っているからだ。
 
壊れない、汚れない、古びない収まりは、伝え継がれる、体系化した知識の集合だ。むしろ学校で教えるのに適した種類の知識だ。

特別なことは、普通が出来るようになってから。
 
日本の大学では、基本設計しか教えない。
 
日本の若い設計者は、現場で怒鳴られ、お施主さんを困らせながら、勉強するしかない。

4年制の大学教育ですら、一般教養過程と、就職活動と、受験勉強の疲れと、アルバイトに時間を取られて、設計に割ける時間は限られている。
 
また、ヨーロッパでは30前後に卒業するのに比べ、日本の学部は、4年生でも22歳。
 
(もちろん天才はどこにでもいる。エンリック・ミラージェスは飛び級して23歳で卒業している。)

日本の卒業設計は図面10枚程度だが、スペインでは詳細図を含めて100枚。

 
本当は、インターンをして施工まで覚えてしまえば尚良い。
 
名古屋の宇野友明さんhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~arch-uno/work.htmlの現場で2年間修行すれば、どんなに複雑な建物でもクォリティ高く作れるようになるだろう。
 
 
経済や法律の問題もある。
 
ある学生が、シャッター商店街を、住宅街に変える提案をした。
 
講評を、こんな感じで始める。
 
「シャッター商店街の 最大の原因は2000年の「大規模小売店舗法」の変更です。(関岡英之, 2004)
それまでは建てられなかった巨大なショッピングモールを建てる事が出来るようになり、車社会となったため、電車と徒歩を中心に発展してきた商店街が廃れました。
 
法律が変わらなければ、シャッター商店街を活性化することは出来ません。したがって住宅街に変更するあなたの提案は正しい」
 
セヴィリアでは、日曜日のデパート営業は法律で禁止されていた。伝統的な商店街を守るためだ。
 
どんなに、建築や都市を勉強しても、それを法整備にフィードバックする方法がない。

学者の意見を聞くのは、官僚の作ったストーリーを裏付けてくれる時だけ。

ストーリーを作らせてはもらえない。言うこと聞かない、責任取らない、反省しない・・ 困ったものだ。
 

そんな中で、何を講評すればよいのか・・・ 自分でもよくわからなくなったところで講評会は終った。
 
 
毎年この講評会では、一筋の光を見出す。
 
今回は松本さんという学生の模型に惹きつけられた。
 
彼女は、小さな町並みを計画した。
 
が、模型を作り出してみると、いろいろと手を加えてみたくなった。
 
それで、10棟ほどある住戸は、ひとつづつ、微妙に全部違う。
 
建物の中も、興味がおもむくままに入り組んでいる。
 
広場の遊具やフォリーも、ぱらぱらと素材や色を変えて作りこんであった。
 
最初から図面など引かずに、何を作るかわからぬままに模型を作り始めたらもっと面白くなっただろう。
 
 
考える⇔作る のフィードバックの距離を短くすること、またしても同じ課題に行き着いてしまった。
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長いお別れ
自由になる時間が限られてきましたので、身辺整理をしています。

それで、本業を圧迫しつつあったブログを今年一杯お休みします。

発作的に短文を書くかもしれませんが、基本的にはお休み。

来年またこの場所でお会いしましょう。


置き土産か最後っ屁か、こんなリンクを貼ってみました。

http://www.ozawa-ichiro.jp/elections/pdf/inews_extra_vol-4.pdf

消費税を上げる・・・60億円の図書館を作らなきゃ・・・

「政治的な旗幟を鮮明にしないほうが良い、特に岐阜では」との忠告を無視しているわけではありません。

僕は政策を支持します、政党や政治家を支持するのではなく。

僕の職場や友人達とは一切関係がありませんのでご了承下さい。


さて、知識の無い設計者は、現場ではいいようにあしらわれます。

意図が正しくても「出来ないよ!」「予算オーバーするよ!」「メンテがかかるよ!」と施工者に押し切られます。

施工者には、工事を無事完成させる義務がある、リスクは負えないのです。

一生懸命勉強して、「コストも工法も問題ない、これでお願いします」と説得しなくてはいけない。

警戒されつつも尊敬されるのはこんな設計者です。

設計者=政治家 施工者=官僚 と言い換えることが出来るでしょう。

忘れがちですが 施主=国民です もちろん。

それでは、みなさまごきげんよう。

誰かが作ったルールを守る人ではなく、私の中にルールを持つ人であり続けられますよう。
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邂逅 開口
週末は、北野武の映画を3本観て、父とラテンアメリカ音楽のコンサートに行った。


北野武 コーエン兄弟 フォン・トリアー クストリッツァ ソクーロフ アルモドバル ガス・ヴァン・サン などは、スペインに住んでいるときにファンになり、今でも喜びを与えてくれる監督達だ。

その中でも北野武は実に素晴らしい監督だと思う。フィルムの密度が違うわけはないのだが、映像も登場人物の感情もくっきりと見える。

ラテンアメリカ音楽は、特に好きなわけではない。もともと僕は音楽にそれ程思い入れがなく、音楽を熱狂的に好むための素養が欠けているようだ。

クラシックならモーツァルトやショパンなど、繊細で優美な音楽が好き。いつもはテクノを聞いている・・・が、音楽がなくては生きていけない、と感じたことがない。少し残念だが。

コンサートも最初は感激するのだが、そのうち飽きてしまう。映画やコンテンポラリーダンスのように、感動の渦に身を任せるところまで行かない。


とある養護老人ホームの主催だったが、特に期待はしていなかった。

ところが、これがなかなか素晴らしいライブだった。

ミュージシャンのレベルが高く、アンデスの山々が浮かんでくるような演奏だった。

文化は風土を背負っている。アンデスの音楽はアンデスの山々に最もしっくり来るように出来ているのだ。

建築だって同じだ。日本の風土にしっくりと来る日本の建築があるはず、

それはいいとして。

尺八と同じ音がするケーナ 小さいケーナを音階順に並べたサンポーニャ、太鼓 等いろいろな楽器があるが、僕は小さなウクレレのようなチャランゴが好きだ。
http://www.youtube.com/watch?v=Jktbz3kwb1s&feature=related

ついチャランゴに目がいってしまうのだ。

チャランゴは、スペインの楽器がインディオの音楽に取り入れられたものらしい。

文化は、ベースがあれば色々なものを内に取り込むことが出来る。


「今でもあまりペルーが好きじゃないのか?」と父が聞く。

父は大変にペルーが好きで、16歳の僕をペルーに留学させた。僕は、しかしながら、2年半の滞在の最後までペルーが好きではなかった。

かの国は、たった200人のスペイン兵士に征服され蹂躙され、搾取されたばかりか、後から入植してきたスペイン人達に支配されて、インディオといえば今でも侮蔑の対象だ。

スペインという国は、征服し植民地化する能力には長けていたが、その統治には重大な欠陥があったように思えてならない。

スペインに支配された国で、汚職、差別、経済格差 などにまみれて苦しんでいない国がひとつでもあるだろうか?唯一の例外は革命を成功させたキューバくらいのものだ。

ペルーには、そんな暗い影があった、そして、その影は、部外者である僕には手に負えない、しかし目を逸らすことの出来ないものだった。

もし僕がインディオの青年だったら、差別を跳ね除けて白人たちよりも抜きん出てやろう、と思えたかもしれない。しかし部外者である僕には、その不公平さを傍観しているよりなかった、それが嫌だったのだ。

風景や、料理や文化が好き・嫌いという以前の問題だったが、各地をくまなく旅行しながら、現地で生活したわけではない父にはわからなかったのだろう。

いずれにしても、父とこうして自然に話が出来るようになったのは幸福なことではあった。

子供の頃から、父に遊んでもらうということがなかったから、こうして数時間を過ごすだけでも大いに楽しく感じられた、地方生活にもいろいろな楽しみがある。ドラマもある。

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If you do not shape your life, circumstances will
もう亡くなってしまったが、千葉敦子というジャーナリストの「ニューヨークの24時間」という魅力的な本があって、こんなふうに始まる。
 
「あなたは人類を2種類に分けるとしたら、どう分けますか? 移動型と定着型、友達になりたい人とそうでない人、あるいは、人類を2種類に分ける人と、分けない人 なんていう分け方もある。
 
私は人類を「忙しい人」と「ひまな人」に分けたい」
 
と。もちろん、彼女は忙しい人なのだ。
 
「人類を2種類に分けるとしたら?」
 
長い間、この問いに答えることが出来なかった。
 
僕は分けない人なのか?残念ながらそうではないのにである。
 
 
こう答えてみる。
 
「自分の目で見、手で触れ、感じたものを信じる人」 と。
 
もう少しスマートな表現がありそうなものだが、とりあえずそういうことだ。
 
 
この半年間で、いろいろな人に会ってきた。
 
自由になる時間があまり無かった。だからこそ、無理をしてでも 興味を持った人には直接会いに行った。
 
気付いてみると、僕が興味を持って会いに行った人達には共通点があった。
 
素朴な疑問を持ち、ひとりで調べ、改善していくうちに、誰もいない独自の境地を切り開いていた、ということだ。
 
課題を見つけたとする。少しずつ手探りで歩いてみる、そのうち「常識の壁」にぶち当たる。
 
「誰もやってないから、やめておいたほうがいい」
 
と助言される。
 
多くの人は、そこで引き返す。
 
しかし、引き返さない人もいる。
 
僕が会ってきた人達は、そういう人達だった。
 
どうして、助言を聞かなかったのか?
 
自分が見ているもの、触れているもの の方が、他人の助言よりもよりリアリティがあったからだ。
 
 
僕にも、この目で見ているリアリティがある。
 
常識の壁はすぐそこにある。
 
 
「あなた自身が何をするかを決めなければ、環境がそれを決める。」
If you do not shape your life, circumstances will.
 
ヒラリークリントンの言葉だ。
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