飛騨市宮川町のモダーンな杉板について
2010.09.24 Friday 23:48
この大工さん、普通の大工さんとは少し違います。
自分で山を持ち、木を切って、それをノコギリやマサカリで板に挽き、自分で図面を引いて、家を造っています。
足りない木は木材市場で買ってきます。
「それって普通じゃないの?」
100年前の大工にとっては普通だったかも。
山を持つ、木を切る、製材する、市場で木を買い付ける、板に挽く、図面を引く、今ではそれぞれに専門職が居ます、大工の仕事ではないのですね。
荒木さんの作る建物を見学し、ノコギリで挽いた板にいたく感激しました。
何故か?
「建築の世紀末」のなかで鈴木博之さんが、「近代とは、意識によって世界を捉え、捉えられた意識に基づいて生きるという姿勢」である(後程典拠を加えますが)と言われています。
モダン建築が「白い箱」と呼ばれるのは、この「意識」はいかなる様式や因習や文化からも自由な透明な存在で、それを最も的確に表現したのが白い箱だったからです。
あるいは、「何も表現しないこと」を最も具体的に表したのが白い箱だったから、とも言える。
この、正しいけれども、あまりに非人間的な、白い箱をいかに壊せるかがポストモダンと呼ばれる現代の建築のテーマでした。
結果的には、白い箱を壊すと建築自体も消えてしまうことが徐々にわかってきたのですが・・・
それでもって。
板をのこぎりで挽く、意識の中で、その板は水平です。
現実には、鋸刃によるギザギザが刻み込まれた板は、見る方向によって光をにぶく反射しています。
理想の中の水平と、現実のギザギザが2重映しで見えること。
モダーンな板 と 惚れ込みました。
チョウナやマサカリで模様を付けた木材は、刻みを入れる時点ですでに材木は意識の上の直線になっているので、そこに何かを付け加える必要は少なく感じられました。
日本の伝統工法を、モダンな視点から理解していくこと、しばらくはこのテーマに沿って勉強していこうと思います。