MAXXI
2010.06.30 Wednesday 22:02
午前中3件目の引渡し。
仲良くなったお施主さんともしばしのお別れ、少し寂しいですね。
新居にはツバメが巣を作り始めていました。
「放っときます、気にならないんです」とお施主さん。
竣工会はツバメも一緒にすることになりそうです!
仲良くなったお施主さんともしばしのお別れ、少し寂しいですね。
新居にはツバメが巣を作り始めていました。
「放っときます、気にならないんです」とお施主さん。
竣工会はツバメも一緒にすることになりそうです!
脱力ついでに長々と書きます。
ローマの「片割れ」 (という表現にさせて頂きます) から早朝に電話、あちらは寝入りばな。なるほど、この時間ならゆっくりと話せるのだ。。
東京と岐阜で遠距離を始めて2年間 一日も欠かさなかった1日1時間の電話がないと寝付きが悪い。
「建築の博物館 MAXXI(マキシ)に行ったの!」(片割れ)
美術品と異なり、建築は実物が展示できない。
「建築とは?実物とは?何を指すの?」という哲学的な問いはさておいて、一体何をどうやって展示するのか大いに気になる。
「建築の実物」 といば、バルセロナの大学院に、髪はぼさぼさ、ジャージにサンダル履きの先生が居た。コルビュジェ研究の第一人者ケットラス Josep Quetglas 教授。
バルセロナから大して遠くもないコルビュジェの作品を、ケットラスは頑なに訪れようとしなかった。
ケットラスにとっては、建築を巡る思索の方に意味があり、建物自体を見る必要を感じなかったのだろう。
建築に携わるひとにとって、そういう傾向は多少なりとも、ある。
見える部分と、見えない部分で出来ているのが 建築、しかしその割合が人により違う。
見える部分は敷地から動けないけれど、見えない部分は、図面や写真、文章や模型で表現できるから、展示も出来る。
見える部分は敷地から動けないけれど、見えない部分は、図面や写真、文章や模型で表現できるから、展示も出来る。
なお、
マキシMAXXI (イタリア国立21世紀建築美術館)自体が現代建築の傑作でもある。
↓増築部分
↓増築部分
設計は、現代建築界きっての 建築的・暴れん坊(女性) ザハ・ハディド。 イラン生まれのイギリスの建築家だ。
ところで
美術館には3つの役割がある。
美術品の展示・教育(アウトプット) 収蔵・研究(インプット)、新人の発掘・育成(将来の美術への貢献) の3つ。
この3つのバランスが取れていることが良い美術館の条件だと、スペインの高名な美術評論家アンヘラ・モリーナは言っていました。
(白い革ジャンのおねーさんだった・・)
果敢で挑戦的な美術館の展示は、とても楽しいものです。
館長に特殊な才覚が必要なのです。
美術評論界の若きエリートたちがするべき仕事なのですよ、美術館館長は。
美術評論界の若きエリートたちがするべき仕事なのですよ、美術館館長は。
秀才だけど頭の固い天下りの方々ではなく・・・。
岐阜県美術館の「大巻伸嗣展とワークショップ」は面白かったですけれど・・・
ところが、20世紀末から新しいタイプの美術館が誕生しました。
代表は、ビルバオ・グッゲンハイム、ロンドン・テートモダン、東京・国立新美術館 などです。
これらは、巨大で、収蔵品を持たず、大規模な貸しギャラリーのような美術館で、いずれも有名建築家による、あっ驚くようなデザインの建物です。
美術館としての方向性は無いから、展示企画は何でもあり。
スポーツカーからファッション、印象派からポップアートまで。
ただし、興行収入が目的なので、売れない企画は出来ない。
白い革ジャンの美術評論家 アンヘラ・モリーナに質問してみました。
「建築家フランク・ゲーリィ設計の ビルバオ・グッゲンハイムは、展示のみの美術館ですが、建築界では快挙と言われています、あなたにとってはいかがですか?」
返事はミニマルだった。
「政治的に正解。美術的に不正解」
また政治ですか・・・