逗子海岸と石垣島の設計事務所です
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宇野友明さんの建築について


見学から2日経った・・・にもかかわらず 宇野さんの空間からは脱け出せない・・・珍しいことだ。

かの建築は熱狂をともなうらしい・・
これから先 何度も立ち戻ることになるだろうあの空間

この負荷を情緒のままで負い続けると、脱け出せなくなりそうなので、整理整頓を試みる。


「事件」と見立てて

『証拠』(何を創っているか)
『機会』(どうやって創っているか) 
『動機』(何故創っているか) 

に分けて書きます、真面目な論文の まずはドラフトとして。


まずは、『証拠』  宇野さんが、その建築で表現されようとしている対象について。

「見たことの無い普通のたてもの」 
が、宇野さんのマニフェスト。

少し遊んでみる。

「見たことのない」⇔「見たことのある」 / 「普通の」⇔「変わった」
 
と 分解する

まあ、こんな図になる↓


                               


,砲弔い董∧析する必要は無さそうである。

△鉢の違い、とい琉磴い砲弔い胴佑┐譴个茲ぁ



何かを見て、それを理解した(言葉に置き換えた)瞬間から、ものは見えにくくなる。

 ああコンクリートの壁ね」 と認識されたとき、壁はひとつの記号になる。

(モニエの植木鉢→安藤忠雄までのもろもろの文化的な負荷を帯びた記号だ)

一度記号になった壁を人は仔細に眺めたりはしないものだ。
 
建築のパーツが、観者にとって なじみのある記号に変換されたあと、関心は建築の形式に向かう。
 
「コンクリートの壁・・ 無垢板の床・・ 樫のベンチ・・ 何だか 「教会みたいな」建物・・」

「教会みたい」 これが形式。 タイポロジーである。

タイポロジーは建物の機能を類型的に整理したもの。
近代建築は、基本白い箱だから、パーツは少ない、すぐに把握できてしまう。
 
そこで、建築家たるもの 「変わった」形式 を探そうとする。
 
教会みたいな住宅 お城みたいな学校 軟体動物みたいな教会 見たことありませんか?
 
◆´ぁ,痢 嵎僂錣辰拭廖〃築は、こんなふうにして出来る。
 
◆Г匹海で誰かが試した形式、ぁ独創的な形式。

材料も 工法もほとんど同じ、形式が 違う。
 
 
では、形式を探求せず、パーツ(材料と工法) を探求する、そこが 違う。

「ただの コンクリートの壁じゃない、 ただの フローリングじゃない、 ただの ベンチじゃない、こんなコンクリートの壁・・見たこと無い・・・」

一見しただけでは、捉えきれないため、言葉に変換できない。
 
壁も 床も 扉も 窓枠も 蛇口や コンセントすら、原型をとどめつつ、見たこともないようなモノに変換されている。
 
どのパーツひとつも、気軽に スルーさせてくれない。
 
通常の何倍もの情報量を投げかけてくる。
 
パーツを認識するのに精一杯で、形式を読むところまでたどり着かない。

(だから、住宅は住宅の形式のままになっている)



コンクリートの窓枠の凸凹が文様に見えたのは、いつもならスルーするタイプの情報を、あえて読み取ることに、目が訓練されてしまったからだ!

普通ながら、見たことが無い建築 は、こんな仕組で出来ている。
 
『証拠』 一応これで、整理出来たと思う。

次回は、『機会』です。
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Comment








僕は早く長田さんが述べる「機会」の説明を聞きたいと思っております

どうか僕に建築の世界の広さ、奥深さ、不思議さを教えてください
from. tetsuya | 2014/10/21 20:27 |
Tetsuyaさん お待たせしました。

遅ればせながら、本日 機会を書きました。

論理に還元されない設計・施工をすることが、機会を作る唯一の方法なのではないかと思います。
from. 長田 | 2014/11/11 00:08 |
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